エラム人: 古代オリエントの謎の民族
エラム人は、紀元前22世紀から前7世紀にかけて、西アジアのイラン高原南西部に栄えた民族です。彼らの起源は不明ながら、イラン高原に最初に居住した民族の一つとされています。エラム王国は、都市スサを中心に繁栄し、前12世紀にはカッシート王国を滅ぼすなど、最盛期を迎えました。しかし、次第に衰退し、前7世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされました。
文明の形成と交易
エラム人は、大河流域外で文明を形成しました。彼らは、シュメール人やバビロニア人と交易を行い、インダス文明圏とも接触がありました。エラム線文字の使用や、シュメール人の楔形文字の採用など、文化的な発展も見られます。また、トランス=エラム文明と呼ばれる交易圏を通じて、メソポタミアに多くの資源をもたらしました。
エラム王国の興亡
エラム王国は、アッカドのサルゴン王の碑文にも現れ、メソポタミアに侵攻するなど活発な動きを見せました。前2004年頃にはウル第3王朝を滅ぼし、前18世紀にはバビロン第一王朝のハンムラビ王と抗争しました。前12世紀には新王朝が成立し、オリエント最大の軍事勢力となりましたが、前640年にアッシリア帝国によって滅ぼされました。
文化遺産と影響
エラム人の文化遺産として、チョガ・ザンビールのジッグラトがあります。これは、前13世紀ごろのエラムの王によって建設され、現在は世界遺産に登録されています。エラム王国の衰退後も、その行政制度や官僚機構はペルシア帝国に継承され、エラム語は公用語として使用され続けました。スサは、アケメネス朝でも政治上の都として重要な役割を果たしました。
このように、エラム人は古代オリエントにおいて重要な役割を果たした民族であり、その文化的な遺産は今日に至るまで影響を与え続けています。彼らの歴史は、世界史の教育においても重要な位置を占めるべきでしょう。
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