カップヌードルはコンビニやスーパーで必ず販売されている人気商品です。しかし、実はカップヌードルが発売されたばかりの頃は、現在のような人気はなかったのです。それではなぜカップヌードルがここまでヒットしたのかというと、あさま山荘事件がきっかけとなったのでした。今回はカップヌードルまつわる雑学を紹介します。
実は人気がなかったカップヌードル
カップヌードルが発売されたのは1971年のことで、その頃の日本にはそこまでカップ麺自体が定着していませんでした。そのため、日本人にとってカップ麺は謎の多い食べ物であり、最初は好んで買うような人はいなかったのです。
広告費をつぎ込んで大きく宣伝をしたカップヌードルでしたが、売れたのは最初だけでした。見たことのない商品が発売されたということで、物珍しさに購入する人もいましたが、それも長くは続きませんでした。それまでの日本にカップ麺のような食べ物が無かったので、日本の食卓に定着しなかったのも無理はありませんよね。
あさま山荘事件とは?
しかし、カップヌードルが発売された翌年に、あさま山荘事件が発生すると、カップヌードルは大注目を集めることになりました。一見すると、カップヌードルとあさま山荘事件には何の繋がりもなさそうですが、一体何が起こったのでしょうか?
そもそも、あさま山荘事件について簡単に解説していきます。あさま山荘事件は1972年2月19日~2月28日に発生した、人質立てこもり事件のことです。現場となったのは長野県にあるあさま山荘であり、連合赤軍のメンバーがあさま山荘の管理人の妻を人質にとって立てこもりました。
事件が発生してからは、あさま山荘を包囲した機動隊と犯人グループのにらみ合いがしばらく続きました。2月28日には機動隊が強行突入を敢行し、連合赤軍メンバー5人を逮捕することに成功しました。しかし、死者3名、重軽傷者27名を出す結果となってしまい、大事件として記憶されることになりました。
テレビ中継をきっかけに大ヒット
あさま山荘事件が発生したのは2月19日~2月28日だったため、現場は連日氷点下を下回る過酷な環境でした。気温はマイナス15度を下回ることもあったそうで、当時現場に配備されていた機動隊は厳しい寒さとも戦う必要があったそうです。
そのような厳しい寒さの中では、配給されたお弁当などの食料が凍ってしまうなどの事態が発生してしまったのです。厳しい寒さの中でいつでも動けるようにしっかりと食事を取らなければいけませんが、さすがに凍った弁当を食べることはできません。
そこで現場に配給されたのが、カップヌードルだったのです。カップヌードルはお湯を入れるだけで簡単に作ることが出来て、持ち運びも非常に便利でした。そのため、偶然にも極寒の事件現場に最も適している食べ物だったのです。カップヌードルは冷え切った機動隊の隊員たちの体を温めるのに大活躍しました。
そして、事件は世間を震撼させる大事件だったことから、テレビのどのチャンネルを回しても中継が行われていました。NHK・民放を合わせると、最高視聴率が89.7%を記録した時間帯もありました。それだけ多くの人が中継を見つめるなか、機動隊員たちがカップヌードルを食べている様子も生中継されました。
湯気を立たせながらカップヌードルを食べている隊員たちにも自然と注目が集まったのです。当時の日本にはカップヌードルは根付いていなかったため、日本中に「あの食べ物はなんだろう?」という疑問を抱かせました。そして、生中継でカップヌードルが食べられていたことをきっかけにして、日本国民のほとんどの人がその存在を知ることになったのです。
もしもこの事件が発生していなかったら、カップヌードルは現在のような確固たる地位を築けていなかったのかもしれません。
現在では世界でも食べられている
カップヌードルは日本国内でも人気商品となっていますが、海外進出もしています。しかも、僅かな地域や国々だけではなく、80カ国以上で販売されています。
また、日本で販売されているオーソドックスなしょうゆ味以外にも、海外向けに様々なバリエーションのものが販売されています。国によっては麺をすするという食文化が無いことから、麺を短くして食べやすくするなどの工夫なども行われています。
また、イスラム教徒の多い国では豚の油は使用しないようにするなど、その国の食文化にあわせて商品を展開しています。こうした配慮や企業努力がされていることから、カップヌードルは世界中でもいるのでした。
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