バビロン:古代の栄光から現代への影響
バビロンは、メソポタミア南部のバビロニア地方に栄えた古代都市で、紀元前1900年頃にバビロン第一王朝として繁栄が始まりました。新バビロニアのネブカドネザル王は、ユダ王国を滅ぼし、多くのヘブライ人を捕囚として連れ去りました。紀元前538年、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世がバビロンを征服し、捕囚を解放しましたが、その後、バビロンは次第に衰退しました。
バビロン第一王朝の都として、バビロンは「神の門」を意味するマルドゥク神の神殿がある宗教都市から、繁栄した都市へと変貌しました。『旧約聖書』に記されたバベルの塔は、バビロンのジッグラトとされています。ヒッタイトの支配を経て、カッシート(バビロン第三王朝)の支配を受け、アッシリア帝国の下でニネヴェに劣らない都市として栄えました。
新バビロニア時代には、アッシリア帝国の崩壊後、バビロンは再び都となり、ネブカドネザル王(2世)の時代にはバビロン捕囚として知られる苦難の歴史がありました。イシュタル門や「空中庭園」などの建造物は、バビロンの文化的な遺産として後世に伝えられています。
ペルシア帝国の下で、バビロンはスサやペルセポリスと並ぶ重要な都市となりましたが、ダレイオス1世の時代に反乱が起こり、その後の衰退が始まりました。アレクサンドロス大王の東方遠征後、バビロンはセレウコス朝シリアの支配下に入り、政治の中心はクテシフォンに移りました。
現代におけるバビロンは、サダム・フセインによる復元事業など、歴史的な遺跡としての価値を持ち続けていますが、イラク情勢の混迷により、その遺跡の現状は不透明です。バビロンの歴史は、古代から現代に至るまで、多くの文化的、政治的変遷を経てきました。その遺産は、今も世界中の人々に影響を与え続けています。
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