階段の踊り場の由来とは?
階段の途中にある平らな場所を「踊り場」と呼ぶのは、日本だけの独自の言い方です。海外では、英語で「Landing」、フランス語で「palier」という言葉が使われていますが、どちらにも「踊り」という意味はありません。
では、なぜ日本では「踊り場」という言葉が生まれたのでしょうか?
その答えは、明治時代に日本に広まった西洋建築と、その中で行われた舞踏会にあります。
江戸時代までの日本では、階段は「はしご段」や「箱階段」などの形でしか存在せず、階段の途中に平らな場所はありませんでした。これは、当時の日本家屋には平屋が多かったためです。
「踊り場」という言葉も、本来は「踊りをする場所」という意味で、階段の途中を指す言葉ではありませんでした。
しかし、明治時代になると、日本は西洋に追いつこうとして、西洋文化を積極的に取り入れるようになりました。これが「文明開化」と呼ばれる時代です。
その中で、大きな変化の一つが西洋建築の登場でした。
明治初期に、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルが来日し、東京大学で建築学を教えるようになりました。コンドルは、明治政府や財界の人々の依頼で、本格的な西洋建築を次々と建てました。
その中でも、コンドルが明治政府から頼まれて建てた西洋館が、「鹿鳴館」です。
鹿鳴館は、国賓や外国人外交官などをもてなすための社交場として使われました。連日のように舞踏会が行われ、日本政府の高官やその夫人たちもドレスを着て、慣れない西洋のダンスを踊りました。
「踊り場」という言葉が登場したのは、この鹿鳴館での舞踏会から始まったという説があります。
ドレスを着た女性たちが階段を折り返す際にスカートが揺れ、ダンスを踊っているように見えたという説が有力です。
「踊り場」は、誰がいつどこで最初に使い始めたかについて厳密にはわかっていませんが、現在も使われている日本独自の呼び方です。
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