元関脇寺尾の錣山親方が60歳で死去 突っ張りの鉄人、阿炎らを育てる

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細身の体で激しい突っ張りを繰り出す人気力士

大相撲で激しい突っ張りで人気を集めた元関脇 寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日夜、亡くなったことが関係者への取材で分かった。60歳だった。鹿児島県出身の錣山親方は元十両の鶴嶺山、元関脇 逆鉾、先々代の井筒親方とともに「井筒3兄弟」と呼ばれた3人兄弟の三男で、昭和54年の名古屋場所で初土俵を踏んだ。力士としては細身の体から繰り出す激しい突っ張りを持ち味にファンの人気を集め、平成元年の春場所には関脇に昇進して兄の逆鉾とともに大相撲史上初の兄弟同時三役となった。

数々の記録を残した「鉄人」

錣山親方は通算の出場記録は歴代4位の1795回、幕内の連続出場記録の1063回も歴代4位で、幕内在位の記録は歴代6位の93場所と、23年余りの土俵人生で数々の記録を残した。敗れた相撲でも好角家を喜ばせた。横綱千代の富士をあと1歩まで追い詰めながら、つり落としで敗れた一番や、のちに横綱貴乃花となる貴花田との初顔合わせでは敗れた悔しさで、さがりをたたきつけながら引き揚げる姿がファンを魅了した。細身の体でケガの多い力士生活だったが、それでも土俵に立ち続けたからこその勲章がある。「鉄人」とも称された。

弟子の阿炎らを育てた師匠

錣山親方は02年9月の秋場所限りで現役を引退。年寄錣山を襲名して井筒部屋で後進の指導にあたり、04年1月に分家独立し錣山部屋を創設した。15年に検査入院するなど不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。昨年九州場所で、阿炎が錣山部屋史上初の幕内優勝を果たした時も、心臓の病気で入院中だった。「心臓で入院しているのにバクバクさせるなよ」と、うれしそうに話していた。その2年前、コロナ禍でガイドライン違反が発覚し、3場所出場停止からはい上がってきた愛弟子の復活優勝。師匠としてこれ以上の喜びはなかった。

早すぎる死

錣山親方は17日夜、都内の病院で亡くなった。不整脈で前日16日に容体が急変した。60歳だった。約3カ月の入院で、体調は落ち着いてきていたのに、心臓の不整脈で容体が急変したという。遺体は都内の部屋に運ばれた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれる。

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