健康オタクだった徳川家康は天ぷらの食あたりで死んだ説

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今回は、徳川家康にまつわる雑学を紹介します。徳川家康は、天ぷらに殺されたという逸話があることをご存じでしょうか? しかし、実際の死因は胃がんだったと考えられています。また、家康は重度の健康オタクであったことも知られており、自分の判断で療養を続けたことが最期を早めたとも言われています。徳川家系は遺伝的にがん家系であったとも考えられており、家康の死は運命的なものだったのかもしれません。

徳川家康の死因は天ぷら?

家康は、好奇心と食欲が旺盛な人物でした。長寿の秘訣はよく食べることだったのかもしれませんが、年老いてからは腹痛を起こすことも多くなりました。鷹狩りの趣味で田中城に出かけた際に、鯛の天ぷらが献上されました。家康は、珍しい料理に喜んで食べましたが、脂っこい天ぷらは身体にこたえたのか、腹痛を起こしてしまいました。その後、療養生活に入りましたが、回復することなく亡くなりました。そのため、「天ぷらで消化不良を起こして死んだ」という逸話が残りました。

直接的な原因は胃がんだった?

しかし、天ぷらを食べてから亡くなるまでに3カ月の時間がありました。食べ物が消化不良を起こして3カ月も解消されないというのは、現代でも考えられません。実際の死因は、胃がんだったと考えられています。当時の主治医の記録によると、家康の腹部にはしこりがありました。また、家康が晩年悩まされた症状は、現代の医療においても胃がんによく見られる症状と一致していました。天ぷらは、胃がんの症状を悪化させた可能性はありますが、直接的な死因ではありませんでした。

徳川家康は重度の健康オタクだった?

家康は、75歳まで生きたことで知られています。当時の平均寿命と比べると、かなり長生きをしたと言えます。家康以外にも、この時代の武将には長生きをした人物が多く、その共通点はよく食べることでした。武将は、平民と比べると食事が豪華であり、栄養素が豊富に摂れていたのかもしれません。

家康が長生きをした理由としては、家康が重度の健康オタクだったことも影響していました。戦争が終わった平和な世においても、身体を鍛えることをやめませんでした。また、医療の分野にも興味を示し、自分で薬を調合することもありました。

最期は健康オタクが災いした?

しかし、最期は自身の健康オタクが災いして亡くなってしまったとも考えられています。家康は、自分の判断を信じて主治医の言うことを聞かず、自分で療養を続けました。そして、亡くなる直前までそれを信じて疑わず、亡くなってしまいました。天下を統一して江戸幕府を開いた将軍でしたから、自分の判断には並々ならぬ自信があり、プライドが邪魔をさせてしまったのかもしれません。

最期は食欲もなくなり痩せこけてしまいました。その時点で胃がんはかなり進行していたと考えられます。ちなみに、徳川家系では2代目将軍である秀忠、水戸黄門として知られる水戸光圀もがんで亡くなったと考えらえています。そのため、徳川の血筋は遺伝的にがん家系であったと考えられており、家康の死は運命的なものだったのかもしれません。

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