パラリンピックのパラってどういう意味?パラリンピックの歴史と語源

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パラリンピックのパラは並行を意味するparallel(パラレル)のパラです。
ただし、これは後付けでの命名です。

パラリンピックのパラはもともとは下半身不随・麻痺を意味する「paraplegia」でしたが、大会の規模が拡大し麻痺患者以外の参加も認められるようになると、オリンピックと並行して開催されることからparallel olympic略してパラリンピックという名称が使われるようになりました。

パラリンピックの原点:ストーク・マンデビル競技大会

パラリンピックの原型となったのは、1948年にイギリスで開催されたストーク・マンデビル競技大会です。この競技会は、第二次世界大戦で脊髄を損傷した兵士たちのリハビリのために、ストーク・マンデビル病院の医師であるルードウィッヒ・グットマン卿が企画したものでした。グットマン卿は、手術ではなくスポーツをすることで、兵士たちの身体的な回復だけでなく、精神的な活力や社会参加も促進できると考えました。

ストーク・マンデビル競技大会は、ロンドンオリンピックの開会式と同日に行われ、16名の車いす患者がアーチェリーに参加しました。グットマン卿は、この競技会を「障がいを持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会」にするという展望を持っていました。この競技会は毎年開催され、1952年にはオランダの参加を得て国際競技会に発展しました。

パラリンピックの誕生:ローマ大会

パラリンピックという名称が正式に認められたのは1985年のことですが、その前にもオリンピックと同じ年に同じ国で開催される国際競技会が行われていました。その最初の例が、1960年のローマ大会です。この大会は、国際ストーク・マンデビル大会委員会が主催し、23か国から400名の選手が参加しました。この大会は、後に国際パラリンピック委員会によって第1回パラリンピックと位置づけられました。

パラリンピックという名称は、当時の日本で名付けられた愛称でした。その由来は、下半身不随などにつながる麻痺を意味するparaplegiaとolympicを繋げたものでした。しかし、下半身不随以外の身体障がい者も多く大会に参加するようになったため、オリンピックと並行して開催されているという意味合いでparallelとolympicを掛け合わせたものと解釈するようになりました。

パラリンピックの発展:多様な障がい者の参加

パラリンピックは、当初は車いす使用者だけの大会でしたが、次第に多様な障がい者の参加が認められるようになりました。1976年のトロント大会では、脊髄損傷者に加えて視覚障がい者と切断者も出場しました。また、同年にはスウェーデンで冬季大会が開催されました。1980年のアーネム大会では、脳性麻痺者の出場も認められました。1984年のニューヨーク大会では、知的障がい者の出場も認められました。

パラリンピックは、障がい者のスポーツの発展とともに、障がい者の人権や社会参加の促進にも貢献してきました。パラリンピックは、障がい者の能力や可能性を示すだけでなく、障がい者と非障がい者の共生や理解を深める機会となっています。パラリンピックは、障がい者のスポーツの祭典であると同時に、障がい者の社会の祭典でもあるのです。

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